さくっと、バンド年表①(ザ・スパイダースからブルーハーツまで)

X Japanとブルーハーツってどっちが先輩だっけ?

みたいなことをふと考えたことはないでしょうか。

バンドの結成話は学生時代の仲間とかライバルバンドのメンバーを引き抜いたとかいろいろありますけど、単純にいろんなアーティストをデビュー順(レコードデビュー順)に並べてみたらそれはそれで興味深いものになったので、リスペクトを持ってここにズラズラ書いていこうかと思います。

1965年 ザ・スパイダース

「フリフリ」

結成はもっと前だしそのころから活動もしていたがシングルデビューがこの曲なので発売の1965年とする。

堺正章、井上順、かまやつひろしが有名なメンバーだが3人とも初期メンバーではない。

マチャアキは今でもテレ東のカラオケ番組の司会でご活躍。

1969年 ザ・フラワーズ

「ラスト・チャンス」

シェケナベイベー
内田裕也が在籍していたバンド。
内田裕也はボーカルの他に司会というポジションを担っていた。

バンドで司会って何なんでしょうか。
世代じゃないので全然わかりませんが、今でも毎年ニューイヤーイベントを開催するバイタリティーはすごい。
そしてこのイベントがテレビ番組として放送される際、内田裕也が自転車に乗って色んな場所を走るだけという謎の映像が20分間放送される。

1970年 RCサクセション

「宝くじは買わない」

忌野清志郎が率いたバンド
数多くの逸話や伝説があるが、個人的に最も衝撃的だったのはやはり「夜のヒットスタジオ事件」(RCサクセション名義ではないが)

生放送の番組でリハーサルと全く違う曲をぶち込み、思いの丈と放送禁止用語をバンバン言い続けたのはすごかった。

その背景には反原発や放映権、放送禁止曲などさまざまな大人の事情の絡みがあった。

1970年 はっぴいえんど

「はっぴいえんど」

1stシングル「12月の雨の日」よりもアルバム「はっぴいえんど」が先に発売されているため、これをレコードデビュー年とする。

細野晴臣、大瀧詠一、松本隆という、そうそうたるメンバーが在籍。

バンド自体のセールスは大したことなかったが解散後のメンバーの活躍がすごかったため、解散後に評価を得るバンドとなった。

ちなみにもう一人のメンバー鈴木茂は解散後に大麻にハマり2009年に逮捕された。
彼だけはバッドエンドかと思いきや、2018年の紅白でちゃっかり松任谷由実のバックでギターを弾いていた。

1970年 オフコース

「群衆の中で」

横浜市の聖光学院高校在学中に小田和正が結成したグループ。

フォークソング中心で活動したがヒット曲に恵まれず、バンドサウンドにシフトするなど試行錯誤しながら10年目に「さよなら」で大ヒット。

小田和正は現在71歳になったが透き通る声は今も健在。
本人は「声変りをした記憶が無い」と言っている。

ライブでは走り回ったりもする元気でかっこいいお爺さん。

1971年 チューリップ

「私の小さな人生」

財津和夫率いる、ロックでもフォークでもない分野ニューミュージックを開拓したバンドのひとつ。

福岡のライブ喫茶を拠点に活動しデビューしヒット曲も生み出し大規模な野外コンサートを何度も成功させているが、何度もメンバーチェンジをし解散と再結成をくりかえし、オリジナルメンバーは財津ひとりとなる。

ドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌に財津ソロ名義の「サボテンの花」が器用され、世代じゃない当時の若者にも深く知られる曲となった。

これをきっかけに、吉田栄作の「心の旅」のオリジナルがチーリップだと知る若者もいたに違いない。

1972年 CAROL

「ルイジアナ」

矢沢永吉率いるロックンロール・ロカビリーバンド

リーダーが矢沢永吉というわけでもないのだが、プロ契約の交渉窓口が矢沢だったため自然とリーダーというポジションで認知された。

いまでもYAZAWAというステッカーを貼ったトラックを見ることがある。

にわかファンに対して高圧的な熱過ぎるファンを出禁にするという事態にもなった。

とてつもないカリスマ性をもっているのに矢沢のモノマネがバッシングされないのは不思議。

1974年 THE ALFEE

「夏しぐれ」

初期メンバーは今の3人のほかにもう1人いて、4人で「Alfie」というアイドルフォークバンドとしてデビュー。
翌年には今の3人体制になり、研ナオコやかまやつひろしのバックバンドを務めるが知名度は上がらず、このままではダメだと楽曲制作に打ち込む。

1979年にAlfeeと改称して再デビュー。
それまでのフォークグループから徐々にエレキ色のあるバンドへと変化する。

周知のとおり、高見沢の現在は見た目もすっかり様変わり。
フォークのかけらもございません。
直近ではサンマリノ共和国から日本人初となる騎士の称号を受けるなど、常人には全くわからない方向性で評価を得ている。
とりあえず変態ギターの造形美はすごい。

1974年 甲斐バンド

「バス通り」

デビュー前、バンド名が決まらずに仮で付けたのが「甲斐バンド」だった。
これといったバンド名が見つからず結局仮のままでデビュー。
デビューコンサートはチューリップにオープニングアクトを務めてもらったが、チューリップのステージが終わると客がぞろぞろ帰りだすという屈辱のコンサートとなった。

HERO」「安奈」のヒットで知名度を上げるも解散と再結成を何度も繰り返し今に至る。

フロントマンである甲斐よしひろは小室ファミリーの楽曲に参加したりバラエティ番組にでるなど、ロックとは言えない、いや、ある意味ロックな活動をしている。

1976年 ゴダイゴ

「僕のサラダガール」

EXILEがカバーしている「銀河鉄道999」の本家の人たち。
ガンダーラ」「モンキー・マジック」などが代表曲。

シングル曲はほとんどボーカルのタケカワユキヒデが作っている。

日本のバンドでありながら外国人がメンバーにいるというのは当時とても珍しかった。

1978年 YMO

「イエロー・マジック・オーケストラ」

細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一からなるテクノグループ

海外でツアーなどの活動をして評価を得てから国内での活動を行ったので、逆輸入の先駆けという存在。

ライディーンは当時YMOを知らなかった私がどこで聞いたのか知らないがよく口ずさんでいた。

1978年 サザンオールスターズ

「勝手にシンドバッド」

青山学院大学の先輩後輩からスタートし、バンド名やメンバーがころころ変わりサザンオールスターズでデビュー。

勝手にシンドバッド」でハチャメチャなバンドというイメージがついた一方で「いとしのエリー」という綺麗なバラードを世に送り、一気にファンを増やす。
そのままの人気で現在に至るモンスターバンド

ちょいちょい飛び出すエロネタやおふざけにも、にこやかに対応する原由子が素敵。

1979年 CHAGE & ASKA

「ひとり咲き」

1987年に発売した「SUPER BEST」がロングセールスを記録し、10周年を迎えて出したアルバム「PRIDE」が1位を獲得。
しかしこの後に活動を休止してASKAは渡英、CHAGEはバンドMULTI MAXを結成。

それまでASKAは光GENJIに楽曲提供をしていたが、「ほかのアーティストへの楽曲提供はやりたい事をするための資金作りだった」と言っていた。

1981年 LOUDNESS

「THE BIRTHDAY EVE 誕生前夜」

LAZYというバンドで活動していた高崎晃と樋口宗孝が、元EARTHSHAKERのボーカル二井原実と、二井原を高崎に紹介したベーシストの山下昌良を加えて結成。

今、第一線で活躍する多くのミュージシャンに影響を与えるほど日本のメタルシーンに於いては先駆け的な存在となった。

B’zの稲葉が学生の頃にLOUDNESSをカバーした動画はいまでもYoutubeに上がっている。

高崎と樋口がLOUDNESS前にやっていたバンドLAZYのボーカルは、チャラヘッチャラでおなじみの影山ヒロノブ。

1982年 BOOWY

「MORAL」

RCサクセションのライブを見た氷室が新しいバンドを結成することを決意し、布袋寅泰や松井常松らとともに6人バンドを結成。
当時のバンド名は所属事務所ビーイングの副社長が暴威と命名していた。

その後ドラムに髙橋まことを迎えアルバム「MORAL」でデビューするも2人脱退し、その後は氷室、布袋、松井、高橋の4人バンドとして活動した。

アマチュア時代から氷室の名前は有名で、新バンド結成のために呼び出された布袋はかなりビビっていたらしい。

1984年 TM NETWORK

「金曜日のライオン」

前身バンド「SPEED WAY」の中の3人で結成されたバンド。
バンド名の由来はタイムマシンネットワークと言っているが本当は3人が住んでいた多摩地区が由来。
小室がどうしても地名を入れたかったらしい。

近年ではもともとおしゃべり好きの木根がバラエティ番組でTMの裏を暴露。
自分はギターを弾けないことや小室に言われるがままだったことなども話しているが、ファンはそんなことはとっくに知っていて、木根がピアノ弾きであることやギターソロは当時サポートメンバーだったB’zの松本が弾いていたことなどは有名な話し。

キネバラと呼ばれる木根作曲のバラードはとても人気があった。

1984年 REBECCA

「ウェラム・ポートクラブ」

女優 杉咲花の父親で通称シャケと呼ばれているギタリスト木暮武彦が中心となり結成されたレベッカ

デビューの翌年に発起人である木暮はレベッカを脱退。

方向性を替えたレベッカは「ラブ イズ キャッシュ」「フレンズ」などをヒットさせ人気バンドの仲間入りとなる。

1990年にボーカルのNOKKOがレベッカの立ち上げメンバー木暮と結婚するが3年後に離婚。
杉咲花の母親はこの後再婚するシンガーであって、NOKKOではない。

1985年 米米クラブ

「I・CAN・BE」

石井竜也が大学の仲間を集めて卒業後に結成したバンド
ダンサーとホーンセクションを加えた8人くらいの大所帯。(現メンバーは9人)

ファンクなのかソウルなのか、ロックなのか歌謡曲なのか、多ジャンルすぎてカテゴライズできない。
ステージにお金をかけることが有名で、1億円のステージなんていうのはザラだった。

しかしギャラの取り分で揉め、音楽的方向性の違いが露呈し、初期メンバー2人が脱退。
その後石井竜也が監督した映画「ACRI」が大コケということもあり、バンドの維持ができなくなって解散。

石井竜也はアート方面にも力を入れていて、高見沢の見た目同様に方向性のよくわからないアーティストとなったが2006年に米米は再結成され今年もツアーを行っている

1986年 X JAPAN

「I’LL KILL YOU」

幼稚園のころからの幼馴染だったYOSHIKIとTOSHIは小学生の時に初めてバンドを組む。
高校の時にXを結成。
3年後には「I’LL KILL YOU」でインディーデビューとなった。
翌年にはYOSHIKIが「エクスタシーレコード」というインディーレーベルを設立、1988年1stアルバム「Vanishing Vision」を1万枚完売させ、同年「紅」でメジャーデビューする。

飲食店に「Xお断り」などと書かれ「関東三大粗大ゴミバンド」などと揶揄されながらも実績を残し、今ではYOSHIKIが天皇の式典の楽曲を作るまでに。

「天才たけしの元気がでるテレビ」の1コーナーにて、ラーメン屋さんの中でヘビメタを演奏するという動画は今でもYoutubeで見ることができる。

HIDEはきっと今も笑っている。

1986年 RED WARRIORS

「OUTSIDER」

元レベッカの木暮武彦DIAMOND☆YUKAIが中心となって結成された。
バンド名は木暮のこだわりでRから始まるバンド名にしたかったらしい。
理由はレベッカを追い出された木暮が50音順でもアルファベット順でもレベッカの前後に来るように。というライバル心から。

結成当初は「レベッカ♂」という名前だったというから驚き。

しかし同バンドは1989年に一度解散しており、NOKKOとの結婚はこの後と思われる。

1986年 BUCK-TICK

「TO-SEARCH」

ボーカル櫻井は結成当初はドラムを叩いていた。
氷室京介にお前は顔がいいからボーカルやった方がいいと言われ、これが決め手になったわけではないがやがてフロントマンを務めるようになる。

その後にドラムを務めたヤガミトールはアマチュア時代にBOOWYの高橋まことを自宅に招待し自分のドラムセットを髙橋に叩いて見せて貰った。
プロとアマの力量の差に愕然としたらしい。

デビュー以来、BUCK-TICKは一度もメンバーチェンジをしていない。

1986 PRINCESS PRINCESS

「kissで犯罪」

1983年にTDKレコードがガールズバンドを作るために開催したオーディションによって選ばれた5人で「赤坂小町」を結成し翌年にデビューするがアイドル的な仕事が増えたことや音楽性の違いから移籍、1986年にCBSソニーからプリンセスプリンセスとしてデビューした。

それまでガールズバンドが無かったわけではないが、人気の曲も多く、テレビの露出もあり、多くのアマチュアバンドがプリプリのカバーをしたことなどから、日本のガールズバンドの代表格となった。

ボーカルの奥井香は俳優の岸谷五朗と結婚したことにより、すべての活動を岸谷香という名義で行っている。

1987年 THE BLUE HEARTS

「リンダリンダ」

甲本ヒロト、真島昌利を中心として伝説のバンド。
1987年に「人にやさしく」を自主制作し、同年5月に「リンダリンダ」でデビューとなった。
この曲は今でもCMに起用されるなど、愛され続けている代表曲となった。

歌い方が独特すぎてNHKの番組に出た際には抗議の電話がなったというが……
なんの抗議なのやら…

ベースの河口が宗教にハマりメンバーやスタッフへの勧誘をやめなかったのが解散の理由とされている一方で、河口とドラムの梶原の演奏技術が足りなかったとも言われている。

解散発表はラジオのゲスト出演した際に「今後の予定は?」と聞かれて「解散かな」と突然の発表となった。

いまでもCMなどで楽曲が使用されたり、多くのミュージシャンに影響を与えている。

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パート2(ユニコーンからアジカンまで)はこちら。

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