さくっと、バンド年表②(ユニコーンからアジカンまで)

バンプとアジカンってどっちが先輩だっけ?

みたいなことをふと考えたことはないでしょうか。

バンドの結成話は学生時代の仲間とかライバルバンドのメンバーを引き抜いたとかいろいろありますけど、単純にいろんなアーティストをデビュー順に並べてみたらそれはそれで興味深いものになったので、リスペクトを持ってここにズラズラ書いていこうかなパート2です。

パート1(ザ・スパーダースからブルーハーツまで)はこちら。

1987年 UNICORN

「BOOM」

ドラムの川西、ギターの手島が中心となって結成。

キーボード向井美音里とベースEBI、ボーカル奥田民生が加入しソニーオーディションを勝ち抜きデビューが決まる。

アルバム「BOOM」でデビューしたがその後向井が健康上の理由で脱退。
サポートキーボードだった阿部が正式加入して現在の形になる。

1993年にリーダーの川西が脱退しバンドも解散するが、2008年に阿部が発起人となり再結成。
当初サポートメンバーだった阿部が現リーダーとなって活動している。

1988年 JUN SKY WALKER(S)

「全部このままで」

1980年代後半、原宿の歩行者天国でのストリートパフォーマンスで人気を得て1988年にミニアルバムでデビュー。
翌年に出したアルバム「歩いていこう」がヒットし、ユニコーン、プリンセスプリンセスと共にバンドブームをけん引した。

バンド名は当初JUN SKY WALKERだったが英語の教師に「複数形のSを付けてはどうか」と提案されこれを受け入れる形になるが、些細な反抗心から「(S)」とカッコ書きにすることになった。

19997年にボーカル宮田が脱退の申し入れをしたことから解散となったが2007年に再結成。

ベースの寺岡呼人はゆずのプロデューサーとして有名。

1988年 B’z

「だからその手を離して」

TMネットワークのサポートギター(リードギター?)をやっていた松本はセッションミュージシャンとしてすでに活躍していたが自分のバンドを作ることを決意。

なかなか良い人材に出会えなかったが、当時の事務所の社長から稲葉のデモテープを渡され本人と会うことに。
2曲セッションしてたら機材が壊れてしまいセッションは終了。

だがこの2曲でボーカルは稲葉に即決定しB’zが結成された。

今なおトップを走るモンスターバンド。

そのライブパフォーマンスは多くの若手バンドに影響を与えている。

鬼龍院翔はボイスレーナーに「稲葉さんは目指さないで。あの人は次元が違うから」と言われたらしい。

1992年 THE YELLOW MONKEY

「Romantist Taste」

イエローモンキーという東洋人に対する蔑称を自ら付けるというバンド名は、バンド結成前から吉井和哉が決めていたらしい。

グラムロック色の強い楽曲が多く、細見で高身長、奇抜な衣装や化粧などのブランディングも明確なものだった。
ライブ演出にもこだわりが強く、客の動員数は伸びるがセールスに結びつかない日々を送る。

セールス向けの楽曲制作に舵を切ると「Love Communication」のスマッシュヒットから徐々に売れ始めその後はヒット曲に恵まれる。

現在は解散を経て再結成し変わらぬカッコよさが健在。

その一方でベースのヒーセが「有吉反省会」で「女装が趣味」とカミングアウトし、よくわからないキャラになっている。

1989年 Dreams Come True

「あなたに会いたくて」

とんねるずのバックバンドとして参加していた中村正人がコーラスに吉田美和を招き入れたことが結成のきっかけとされている。

キーボードに西川隆宏を加え、3人バンドとしてデビュー。
結成2年で3rdアルバム「WONDER3」がミリオンを達成、紅白に出場するなどかなりのスピード出世をするが、2002年、全盛期に西川が交通事故を起こし活動休止、その後脱退する。
脱退後、ドリカムは2人体制になり、西川は暴行事件や覚せい剤使用で逮捕される。

1991年 BLANKEY JET CITY

「不良少年のうた」

浅井健一、照井利幸、中村達也からなる3ピースロックバンド

結成当初中村はマネージャーだったがたまたま3人でセッションした時にしっくり来たので正式にドラマーに採用した。

テレに番組「イカすバンド天国」で勝ち抜き東芝EMIからデビューとなった。

浅井健一は、椎名林檎、降谷建志、JUDY AND MARYのTAKUYAなどに多大な影響を及ぼしている。

1992年 LUNA SEA

「LUNA SEA」

アマチュアで活躍していた3つのバンドメンバーが混ざり、現メンバーの5人で結成。
町田で初ライブを行った時に全員がこれだと確信し、活動を広げていく。

1991年にYOSHIKIが設立したレーベル「エクスタシーレコード」よりインディーズアルバム「LUNA SEA」を発売すると初回プレスの1万枚が予約で完売!

その後MCAビクターよりアルバム「IMAGE」でメジャーデビュー。
ラルクアンシエル、GLAYと共に一時代を築く。

1992年 ウルフルズ

「やぶれかぶれ」

バイト仲間だったトータス松本とウルフルケイスケが中心となり結成
4年間地道に活動し少しづつ知名度を上げ、小室哲哉の番組に出演。
その際に「ダンスっぽい曲やらないの?」と言われ作った「ガッツだぜ!!」が大ヒット。
続く「バンザイ」も大ヒットとなり全国区になる。

ベース、ジョンBチョッパーの脱退や復帰、活動休止・再開などを経て現在はウルフルケイスケがソロ活動に専念するためバンドとしては活動休止状態。

1992年 Mr.Children

「EVERYTHING」

高校時代の同級生だった桜井、中川、田原に男性ドラマーと女性キーボードを加えた5人で結成。
ある日、とあるコンクールにテープを送り通過するが、ライブ審査を前にしてドラマーがいなくなってしまい、急遽用意したサポートメンバーが今のドラマーである鈴木だった。

その後、女性キーボードは脱退し現メンバーの4人となって活動を本格的に開始。
バンド名をMr.childrenに決めミニアルバム「EVERYTHING」でデビュー、翌年に発売したシングル「CROSS ROAD」がロングヒットし、続く「innocent world」「Tomorrow never knows」が大ヒットし、一気に第一線での活躍となる。

ライブ時の音作りに一番こだわりを持っているのはギターの田原で、こだわる理由は「ライブに来て音がCDと全然違ってたらガッカリするから」だそうです。

1993年 JUDY AND MARY

「POWER OF LOVE」

すでにメジャーデビューしていたベースの恩田が映画の撮影で北海道に行った時にエキストラとして映画に参加していたYUKIと出会ったのがきっかけでJAMを結成。
デビュー前にギタリストが脱退したためオーディションによってTAKUYAが加入しデビュー。

解散理由は諸説あるが、恩田から脱退の申し入れがありこれにYUKIが「恩田がいないなら解散だろう」と切り出し解散という結論に行きついた。

現在YUKIがやっているFM番組では、あいかわらずキュートなキャラと声が聴ける。

1992年 L’Arc~en~Ciel

「DUNE」

1991年にベースのtetsuyaを中心に結成。
メンバー交代をしながらも、インディーズアルバム「DUNE」がインディーズチャートで1位を獲得し、1994年にビデオシングル眠りによせて」でメジャーデビュー。
VHSビデオでデビューするというのはとても珍しいことだった。

続けて同年にアルバム「Tierra」シングル「Blurry Eyes」を発売。
Blurry Eyes」はアニメ「電影少女」の主題歌になり、インディーズ時代からの人気もあり、すぐに歌番組に出演することとなる。

その後もヒットは続いていたが1997年にドラムSakuraが覚醒剤で逮捕され活動予定はすべて白紙になった。

休止状態が明け「」で活動再開となったのだが、この時現ドラマーのyukihiroはサポートメンバーだったため「」唯一ラルクが3人という構成の時の曲となる。

1994年 GLAY

「RAIN」

1988年に、高校生だったTERUとTAKUROが結成。
当初TERUはドラマーだったが、TERUが歌ったデモテープを聴いたTAKUROがボーカルに転向させた。
後にHISASHIとJIROが加入し、拠点を東京に移してライブを行っていると、それをYOSHIKIが見てエクスタシーレコードと契約。インディーズデビューとなった。

メジャーデビュー曲となった「RAIN」はYOSHIKIプロデュースの楽曲。

著作権の問題などがあり、現在はすっかり見なくなってしまったGLAYだが、テレビに出ていないというだけで、今でもライブをやればチケットは即完売。
武道館クラスでまたまた集客できるバンド。

1996年 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

「世界の終わり」

1991年に明治学院大学のサークル内で結成。
結成当初は全く違うメンバーだったが、デビューを迎えるころは最終形態のメンバーになっていた。

フジロックの際に客の熱狂ぶりにたびたびライブが中断した。
興奮した客がステージにペットボトルを投げ入れライブが中断した。など、
常に白熱するライブを行う。

Mステではロシアの女性デュオ「t.A.T.u」が楽屋に引っ込んだまま出てこなくなるという事態になり、その時唯一生演奏出演だったTMGEのメンバーが「俺らもう1曲歌えたじゃん」と冗談で言っていたら番組スタッフに懇願され、急遽もう1曲生演奏で披露した。

筆者が覚えている限り、他の共演者がこの時以上に盛り上がったMステをいまだに知らない。

1996年 EVERY LITTLE THING

「Feel My Heart」

元々子役やグラビア系のタレントとして活動していた持田香織。
CDも数枚出した経緯があり、後にELTの初期メンバーで当時駆け出しの作曲家だった五十嵐充を紹介されデモテープを制作。

2人でのデビューの予定だったがギターの音や頭数が欲しいという事になり、五十嵐のバンド仲間だった伊藤一郎が加入しデビューとなった。

楽曲は次々にヒットしたが持田が喉を壊し、ポリープ摘出後は歌い方を模索しながら現在に至る。

とんねるずのおかげで地味なだけだった伊藤のキャラに火が付き、いまでは全く音楽に関係のないバラエティ番組や食レポの仕事をこなすという異彩を放つギタリストとなった。

もはや、いっくんがギタリストだと知らない人もいるのではないか。

1997年 Dragon Ash

「Rainy Day And Day」

ボーカルは俳優 古谷一行の息子であるが、それを出さずに隠し、苗字を降谷という表記で活動。

ジャンルにとわられない姿勢で様々な音楽に取り組んできたが、ヒップホップを取り入れた際、強烈にリスペクトしていたZEEBRAをパクってるという疑惑や振舞いやラップのやりかたまでZEEBRAのモノマネと言われ、猛烈に怒られたあげく降谷建志に向けられた「公開処刑」という楽曲をリリースされてしまう。
激烈なディスを受けた降谷はこれを境にラップ系の曲は書かなくなった。

1997年 ナンバーガール

「SCHOOL GIRL BYE BYE」

向井秀徳が中心となって結成されたバンド。
福岡に拠点をおいてインディーレーベルから「SCHOOL GIRL BYE BYE」をリリース。
その後上京して1年目の東京で40本のライブをこなし、翌年にはアメリカでのライブも行う。

SCHOOL GIRL BYE BYE」が東芝EMIのプロデューサーの耳に止まり、メジャーデビューとなった。

基本的にはオルタナティヴ・ロックだがレゲエやラップなども取り入れた。
ベースの中尾が脱退を申し入れたことからバンドは解散となったが2019年に再結成。

向井秀徳の独特なセンスは、椎名林檎やアジカンなど、多くのミュージシャンに多大な影響を及ぼした。

1998年 くるり

「東京」

ギターボーカル岸田繁が立命館大学のサークルで出会った仲間とくるりの原型となるバンドを結成。
その後、賞金目当てのコンサート出演やデモテープ制作などの活動をし、くるりとして在学中にデビュー。

しかしあまりにもメンバーチェンジが多く「くるりはブラック企業」と揶揄もされるが、岸田はこれを自虐ネタとして話すこともある。

くるりを聴くと、不思議と上海ガニが食べたくなる

1999年 ポルノグラフィティ

「アポロ」

メンバーチェンジを重ね大阪でライブ活動をした後、憧れのサザンオールスターズと同じアミューズと契約しデビュー。

ベースTamaが脱退し2人体制となるが、今でも積極的にテレビに出るなど変わらず活躍している。

思い入れが無さすぎて書くことがない……すみません

1999年 BUMP OF CHICKEN

「FLAME VEIN」

幼稚園からの幼馴染4人が中学で同じ部活に入り意気投合。
文化祭がきっかけでバンドをやり始める。
高校へ進学すると、オリジナル楽曲を作り始め各地の大会へ出始める。
ボーカル藤原が高校を中退し本格的に楽曲制作にのめり込む。
1996年に正式な現在のメンバーで「BUMP OF CHICKEN」を結成。
インディーズデビューとなったアルバム「FLAME VEIN」は3日間だけの強行レコーディングだった。

インディーズ活動を経て2000年にシングル「ダイヤモンド」でメジャーデビューすると、2ndシングルの「天体観測」が人気ドラマのタイアップとなり大ヒットとなった。

近年では初音ミクとのコラボや若干デジタル色の強い楽曲をリリースするなどの変化がみられる。

2000年 マキシマム・ザ・ホルモン

「A.S.A.Crew 」

2000年にアルバム「A.S.A. Crew」でインディーズデビューしたのち、メンバーチェンジをしながらライブ動員数を増やしていったホルモン。

彼らが年に1回程度、条件付きで入場料が無料になったり低価格になったりする特殊なライブ「地獄絵図」を行う。
過去の条件事例は
「入場時に生ニンニクをまるかじり」
「フルフェイスのヘルメットを被ったまま参戦」
「全員頭からストッキングを被って参戦」
「体重60キロ以下のガリガリ男子限定上半身裸ライブ」
などがあり、ヘルメット着用義務に於いては客席から「死ぬー」「死ぬぞー」などの声も上がる。

2000年 MONGOL 800

「GO ON AS YOU ARE」

高校の同級生で結成し、ブルーハーツなどのコピーをやっていたがオリジナルで自主制作を行うようになる。
沖縄の若手バンドを探していたインディーズの会社の目に留まり、卒業後に1stアルバム「GO ON AS YOU ARE」を沖縄限定発売し大売れ。
やがて全国発売となる。

続く2ndアルバム「MESSAGE」は収録曲「あなたに」がCMソングに起用されたことから大ヒット。
同じく、同アルバムに収録されている「小さな恋のうた」は彼らの代表曲となり、数多くのミュージシャンにカバーされ、CM、ドラマ挿入歌に起用され、愛され続けている。

彼らはメジャーデビューをしておらず、インディーズバンドのまま売れている。

2001年 ELLEGARDEN

「ELLEGARDEN」

エルレもメジャーデビューをしていないインディーズ一貫バンド。

細美武士が千葉県で結成したロックバンド。
2006年にはインディーズながらアルバムがオリコン1位を獲得、幕張メッセでワンマンライブをやるなど、もはやスーパーメジャー級。

フランスのブランド「ELLE」から商標権侵害で告発される。
メンバー間の楽曲制作意欲に差が生まれ解散するも2018年に再結成。

2002年 ASIAN KUNG-FU GENERATION

「崩壊アンプリファー」

1996年に関東学院の軽音楽部内で結成。
卒業し社会人になってもバンド活動を続けた彼らは自主制作でアルバムを作りライブ会場や手売りで販売したり、イベントを企画したり、FM各局に音源を送るなど活動を行う。
2002年にミニアルバム「崩壊アンプリファー」をリリースするとアルバム内の曲「遥か彼方」がアニメ「NARUTO」のオープニングに起用される。

その後フジロックやサマーソニックの出演を経て2003年にキューンレコードから「崩壊アンプリファー」が再発売され、メジャーデビューとなった。

ボーカル後藤の文学的な作詞センスや音へのこだわりはアジカンとしてではなく後藤個人としてメディアに取り上げられることも多い。

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