「You 出ちゃいなよ」
で、おなじみ。
ジャニーズ事務所の創設者であるジャニーさんことジャニー喜多川氏。
多くのジャニーズタレントたちがエピソードをもっているのでいろんな逸話が聞けますが、そもそもジャニーさんて何者なんだろうと思い簡単にまとめてみました。
生まれながらに国際色
昭和6年10月23日
アメリカにある真言宗の別院で第三代主監を勤めた僧侶だった父 喜多川諦道の次男としてロサンゼルスで後のジャニー喜多川ことヒロム少年は生まれました。
【ジャニーさんの本名はジョン・ヒロム・キタガワ、漢字表記では喜多川 擴(きたがわ ひろむ)となります】
姉は現在ジャニーズ事務所の幹部であるメリー喜多川氏。
兄は50代で亡くなってしまいますが、NASAでアポロ計画をしていた科学者だったといいます。
昭和8年に一家で大阪に移り住むも間もなくして母親が亡くなり、第二次世界大戦が始まると子供たちだけで和歌山に疎開。
戦争が終わると父はプロ野球チームのマネージャーを勤め、子供たちは昭和22年に子供たちだけでロサンゼルスに戻り高校生活を送ります。
お父さんはアメリカで日本文化の中にいて、子供たちはみんなロサンゼルス生まれ。
大阪で幼少期をすごしてロサンゼルスで高校生活を送る……
なんてワールドワイドなんでしょうか……。
美空ひばりがきっかけ!
昭和25年
わずか13歳の美空ひばりが師匠である川田晴久と共にでアメリカ公演を行い、ロサンゼルス公演の会場が父が勤めた真言宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院だったこともありステージマネージメント全体を19歳のヒロム青年が担当することになりました。
この時に美空ひばりと川田晴久との親交が深まり、ヒロム青年がジャニー喜多川として日本芸能界へ進むきっかけとなります。
昭和27年にふたたび日本の地を踏んだヒロム青年はその後アメリカ大使館で働きながら上智大学に進学しバンドを結成して昭和30年に芸能界に足を踏み入れました。
てか、美空ひばり!
13歳でアメリカツアーって凄すぎでしょ!!
昔の映像とか見ても歌唱力はハンパないですよね。
まさかジャニーさんと美空ひばりが繋がってるとは驚きでした。
もっともっと後の話しですが、美空ひばりは近藤真彦をとても可愛がったという話しがあります。
縁て繋がるものなんですね。
ジャニーズ事務所設立!!
日本が高度経済成長期の波に乗っていた昭和30年代の中ごろ、ヒロムは近所の少年30人で構成された少年野球のコーチをしていました。
とても上手とは言えないチームだったのでヒロムはエラーズやヘターズと呼んでいましたが、チームに所属していたあおい輝彦が「ジャニーさん(ヒロムのニックネーム)が監督なんだからジャニーズがいいんじゃない?」と提案したことによりジャニーズという名前になりました。
そう!
ジャニーズはもともと、少年野球のチーム名だったんです!!
雨天で野球練習が中止となったある日、チームの中の4人の少年を連れて映画を見に行くと、そこで観た映画ウェストサイドストーリーに少年たちもヒロムも大感動!
こりゃ、エンターテイメント事業をやるしかない!!
ヒロムはこの4人の少年でジャニーズというグループを結成し、昭和37年にジャニーズ事務所を設立、当初は渡辺プロダクションと業務提携し窓口になってもらっていましたが昭和50年に正式に法人登記します。
姉のメリーはバーの経営をしていましたが廃業し、ジャニーズ事務所の経理をすることにしました。
こうしてジャニー喜多川社長の、歌って踊れるタレント事務所「ジャニーズ事務所」が始まったんですね。
まとめ
今回はジャニーズ事務所設立までをまとめてみました。
ジャニーさんは「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」としてギネスに認定を受けてます。
その一方で同性愛者であるジャニーさんにセクハラを受け続けたという暴露本を出されたり、文春との裁判によって同性愛行為があったことを認定されてしまっています。
色んな逸話も多いのですが、行動力と才能に溢れていることだけは間違いありません。